心から褒めるために

心から褒めることは、良いことですが難しいことです。

賞賛は人の心を温め、会話を盛り上げ、関係を良くします。しかし、人生、心から賞賛するのが難しいことにも多く出会います。

例えば、牛乳ビンのふたコレクションを見せられた時など、頭には「違いが分からん」という思いが駆け巡り(牛乳ビンのふたコレクターの方すみません)、コメントはついつい味気ないものになってしまいます。

それに、偽りの賞賛は言う方も聞く方も疲れます。

かと言って、「このフタ丸いね」と褒める(?)わけにもいきません。

一部に気づき、一つを言う

実際のところ、牛乳瓶のフタには「丸い」や、「消費期限や商品名が書いてある」といった要素しかないのでしょうか?これを集めるというのは、何のコメントも出来ない退屈な行為なのでしょうか?

それは違うと思います。どんなことも膨大な要素を持ち、人はその中の一部に気づき、その中の一つを口に出します

実際、「丸い」というのはあくまで牛乳ビンのふたの持つ要素の一つです。それ以外にも「商品のネーミング」、「デザインの変化」、「消費期限や製造元を表記しつつデザインを優れたものにする工夫」など、様々な要素を持っています。そしてふたを収集することも、その過程での努力やふたにかける思いなど、色々な要素がつまっていますす。

その膨大な要素の中には必ず、心から賞賛したくなることがあるはずです

嘘などで無理やり作り出す必要はないのです。

視野を広げる

どんなことにも褒めたくなる面があるということは、大事なのはそこに気づけるかどうか。視野をどれだけ広く持てるかどうかだと思います。

なので私は以前から、反射的に気づくだけでは満足せず、意識して多くの要素に目を向けるようにしてきました。

メールなどで咄嗟に返事をしなくてもよい時は、ブレインストーミングもしました。

そのお陰か、周りの人をとても凄いと感じるようになりました。実際は、元から持っていた凄さに気がつくようになっただけなのですが。

最初に、「人生、心から賞賛するのが難しいことにも多く出会う」と言いました。

しかし、気づく範囲を広げることで、自分の視野を広げることで、その賞賛するのが難しいと思ったことにも、褒めたくなる要素があると気づけます。

これも、先日みやさんが言っていた「あなた自身を変えれば周囲も変わる」ということだと思います。

私達が見る世界を、私達自身によって決めてみませんか?