夢がわからず悩んでいたわたしが自由に夢をみるようになった理由

こんにちは。みや(@cottonweed1023)です。

わたしにはいま、「クリエイターとして生きていきたい(”ものづくり”がしたい)」という夢があります。他にもいくつか夢がありますが、それは次回以降の記事でお話ししたいと思います。

さて突然ですが、そんなわたしからひとつ質問をさせてください。

「あなたの夢は何ですか?」 

この質問を見て、あなたはどう感じたでしょうか。「よくぞ聞いてくれました!」とワクワクしましたか?それとも、「やめてくれ!そんなこと聞かないでくれよ…」と憂鬱になりましたか?

実はわたしは、少し前まで後者の人間でした。

自分の夢が自分でもよくわからず、「あなたの夢は何ですか?」と問われるたび、その現実を突きつけられている気がしてとても悲しく不安な気持ちになりました。

昔のわたしと同じように感じている方も多いのではないでしょうか。

夢に対する思い込み

昔のわたしにやりたいことがなかったわけではありません。 ぼんやりと好きなことや憧れている生き方だってありました。でも当時のわたしは、ある思い込みに縛られていたのです。

それは、「生涯に渡り貫き通せるような、ひとつの大きな夢を見つけなければならない」というものでした。

「小学生のころから野球選手になりたくて、一日も欠かすことなく練習を続けてきました」
「子供の頃から漫画家になりたくて、暇さえあればひたすら漫画を描き続けてきました」

夢を叶えてそう語る人が、羨ましくてたまりませんでした。飽き性でひとつのことがろくに長続きしないわたしにとって、生涯をかけてひとつの大きな夢に挑戦する人はみな、輝いて見えたのです。

ふと抱いた疑問

わたしは自分の夢は何なのか、ひたすら悩み探し続けました。しかし、そうやって自分の夢を模索し続ける中でわたしはあるときふと疑問に思ったのです。

「そうでなければならないと、誰が決めたのか?」と。

そして気付いたのです。他の誰でもなく、わたし自身がそう決めていたのだということに。

さらに突き詰めて考えると、その裏には「この世に生まれたからには何者かになって結果を残さなければならない」という妙な義務感があることにも気付きました。

けれども、そもそも何者かになることがわたしの人生の目的でしょうか?
野球選手になれれば、漫画家になれれば、有名になれれば、それでわたしは幸せになれるのでしょうか?

そう考えたとき、わたしの答えは「 NO 」でした。

では、わたしはわたしの人生に何を求めるのか。そう自分に問うたとき、その答えはいたってシンプルなものでした。

「いま、わたしが生きているこの瞬間を、自分がやりたいことをして全力で楽しむこと。いつ死んでも後悔しない毎日を送ること。」

いつか何者かになるためにいまこの瞬間を生きるのではなく、いまの自分のためにいまこの瞬間を生きたい。そう思ったのです。そしてそう思えたとき、わたしの中の夢に対する思い込みは一切なくなりました。

夢はささやかなものでもいい。
夢はちっぽけなものでもいい。
夢は生涯続けられる自信がなくてもいい。
夢は変わったっていい。
夢はたくさんあってもいい。

わたしはこのときから、自由に夢をみることができるようになったのです。

そして人生は加速する

夢に対する思い込みがなくなったとき、わたしは「ライフエンジン」に出会いました。 これ以上ない、最高のタイミングでした。志を同じくする仲間の存在は、あなたの人生を想像以上に加速させてくれます。 まさに、人生におけるエンジンそのものです。

ライフエンジンのセミナーに参加してからまだ3週間も経っていませんが、ライフエンジンを通して得たものはすでに計りしれないものがあります。このことについては、また追い追いお話ししたいと思います。

最後に、わたしの大好きな小説家、伊坂幸太郎さんの著作「終末のフール」から、あるセリフをご紹介します。「終末のフール」は、3年後に小惑星が衝突し地球が滅亡するとわかっている世界の中で人々はいかにそれぞれの人生を送るのかを描いた短編集です。

その中の一編、「鋼鉄のウール」では、地球が滅亡するとわかっていてなおもボクシングの練習を続ける苗場というボクサーが登場します。 明日死ぬとしても、いまと変わらずボクシングの練習を続けると言い切る苗場。「明日死ぬのにそんなことするわけ?」という質問に対し、彼はこう言います。

明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?(中略)
あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?

わたしはこのセリフを自分のノートの見返し部分に書き込んで、いつでも読み返せるようにしています。

このセリフをあなたへの問いかけとして、この記事を締めくくります。

あなたがあなたの夢を、生き方を考えるためのささやかなきっかけになることを願って。