先日にも書きましたが、最近毎日の「幸せ度」を記録しています。
もっとも、具体的に「幸せ度」を計ると決めているわけでもなく、ただ主観的なその日の「よさ」を数字にして書き下ろすだけです。
しかし、そこで疑問になるのが何が「よく」て、何が「わるい」のか。
道徳の話しではないです。ただ、どんな基準でその日の「よさ」を計るのか、定まっていなかったのです。
これは深く突き詰めると「人生をどう生きたいのか」、そういう話しだと思います。
それが明確であれば、その観点から今日がどの程度「よかった」かもよりクリアに判断できるでしょう。
そんなことを考えていたら、ふと思いついたのです。「死ぬ時は良い人生だったと思っていたい」と。
良い人生だったと思いながら死ぬ
目標というものは良いものです。それがあれば「どうすれば実現できるのか?」と自問自答することで動き始めれるからです。
そして、色々な目標がある中でも、この目標はかなり自分にシックリきます。例えば、以前の私の目標だった「人生の総幸福度数の最大化」より格段にイメージしやすいです。
他にも「金持ちになりたい」という目標は仮に実現しても、それなりの虚しさを胸に抱きながら死んでいくことになるパターンがあります。
実際に、ジョージ・ソロスというイングランド銀行をぶちのめして20〜30億ドル稼いだりする豪快な御仁も、老後に慈善事業に身を投じてからようやく心から幸せになったようです。
その点、この目標もうまさに「終わり良ければ全て良し」。
絶えず意識していく判断基準として、とてもシックリきます。
視野を高く
私達は目の前の問題を「どうするか?」と日々悩みます。しかし、日々を小テストの如く最善を目指して生きるのは、どこか堅苦しく、何か大切なことを見逃しそうです。
とても毎日を得点化している野郎の言っていることとは思えないでしょうが。
ですが、「死ぬ時に自分はどう思うか」という高い視点で見れば、より多くの大切なことに気づき、後悔少ない人生を送れると思います。
そして、日々を得点化するというのも「自分には何が大切か」というのを理解する大きな手助けになると思います。
実際に、最近の記録から分かったのですが、私は定期的に新しいことをしないと充実感が大幅に下がります。なので、今は日々のスケジュールに少しの「新しいことをする時間」を入れています。
ちなみにAmazonの創始者にして現CEO、つまりAmazonが便利で凶悪な原因、ジェフ・ベゾス氏はAmazonを起業した時、当時乗りに乗っていた会社、D.E.ショウを辞めて起業しました。
その時に彼は、80歳になった時、ウォールストーリーの会社を辞めてボーナスをもらい損ねたと後悔することはなくても、インターネットの世界に身を投じなかったことには後悔する可能性があると考えて決断したそうです(ジェフ・ベゾス 果てなき野望)。
ウェットな目標とドライな手法
そういうわけで私は「死ぬ時は良い人生だったと思っていたい」という目標からのトップダウンと、日々の「よさ度」記録からのボトムアップの両方を元に行動しています。
ちなみに、私の「よさ度」は1から∞の数字で表します。一般的には1から5ですが、それでは自分にとって何か大切なことがあっても表せれないからです。
好きなマンガの新刊が出た時が5なら、子供が生まれた時は1793ぐらい欲しいです。
この様に、目標設定やら得点化といったドライな要素と、自分にとって大切なことといったウェットな要素を組みわせて死ぬ時に「ああ 楽しかった」と思いたいものです。