皆さん、おはようございます、こんにちは、こんばんは。さっちゃん(@sachi_pochi_814)です。
今年は4年に1度の閏年!この特別なタイミングにライフエンジンに寄稿できて光栄です!
実は4年前はちょうど転職をした年でして、この日は前職を退職し、翌日には再就職をする、という期待と不安の真っただ中にいる1日でした。いや、どちらかといえば、不安の方が大きかったかもしれない。
今回は、この4年間で学んだこと、次の閏年のわたしへのメッセージ、を綴りたいと思います。
自分の外側の基準に合わせようとする限り、はみ出たり足りない部分が必ず出てくるよね
みなさんは、「プロクルステスの寝台」という言葉をご存知でしょうか。
捕らえた旅人を自分の寝台に寝かせて,その身長が短すぎると槌でたたくか重しをつけるかして引き延ばし,長すぎると,はみ出た分を切り落とした。現在でも杓子定規,容赦ない強制の意で使われる〈プロクルステスの寝台Procrustean bed〉はこれに由来する。
プロクルステスの寝台(ぷろくるすてすのしんだい)とは – コトバンク
そうはいっても、たまには寝台に合う人がいるんじゃないの、と思ったあなた、Wikipediaによると、↓だそうです。
寝台にぴったりのサイズの人間がいなかったのは、寝台の長さが調節可能だったからである。プロクルーステースは遠くから相手の背丈を目測して、寝台を伸ばしたり縮めたりしていた。
プロクルステスこわい。
4年前のわたしは自信を失い、自分を見失っていました。これまでの自分のやり方ってやつに限界を感じていたのです。
そこで新天地では、「郷に入っては郷に従え」とばかりに、過剰に適用しました。
まさに「プロクルステスの寝台」に合わせて、はみ出た部分を切り、足りない部分を伸ばそうとしたわけです。
その結果、さらに自信を失い、自分を見失うという負のスパイラルに突入し、深い森の中で迷子になっていたときに出会ったのがライフエンジンメンバーのイベントだったのでした。
彼ら彼女らから、ようやく、はみ出たり足りない部分こそがわたし、そこに価値があるのだなあ、この当たり前と言えば当たり前のことに深く納得することができました。
不覚にもこの4年間のことを思い出して涙ぐむわたし。色々なことがあったなあ。
もちろん、「プロクルステスの寝台」に合わせたことで得る利益はあります。過剰に合わせることに弊害があるわけで。
ここで注目すべきは、プロクルステスはそもそも基準(「プロクルステスの寝台」)自体を伸ばしたり縮めたりしていた、ということです。自分の外側に基準をおいて、それに適用しようとする限り、どうしても基準を運用する側に影響をうけてしまう。
往々にして、自分がゆらぐと「プロクルステスの寝台」を探してきて(!)、そこに自分を合わせようとしてしまう傾向があるように思います。
最後に、最近読んでいる本「今すぐ50個手放しなさい!」の中から、4年後のわたしに向けたメッセージを送って筆をおきたいと思います。
「ねえ、この世の中でみんなが好きなものって何かしら?
ママはね、一つだけ思いつくわ。それはお水よ。それはお水には味がないからよ。
あなたはお水みたいになりたいの?」